メキシコの三文化が一度にみれる場所。
メキシコシティの北部、トラテロルコ(Tlatelolco)地区に位置する「三文化広場(Plaza de las Tres Culturas)」。
その名の通り、3つの異なる歴史的文化が同じ場所で見ることができます。
ストリートビューでトラテロルコも歩き放題。
トラテロルコ ホームページ
サンティアゴ教会(植民地時代)、トラテロルコ遺跡(アステカ時代)、そして高層団地(現代)の三つの悲劇が、ここにあります。
最初の悲劇は、植民地時代。
アステカ人によって、トラテロルコとよばれたこの場所が、スペインの征服者エルナン・コルテスによって滅ぼされたことから始まります。
虐殺された先住民の数は40000人以上。
アステカ人の神殿を破壊して作られたのが、サンティアゴ教会です。
教会のまえには、石碑が立っています。
1521年8月13日
クアウテモクによって勇敢にも守られてきた
トラテロルコはエルナン・コルテスの手に落ちた
それは勝利でもなければ、敗北でもなかった
それはメスティーソ国民の痛ましい誕生であった
それが今日のメキシコである
先住民の苦しみと悲しみの上に、メキシコ人が誕生したんですね。
1968年10月2日第二の悲劇
メキシコ政府は、メキシコシティ開催のオリンピックの誘致のため1.5億ドルの投資をし、反乱鎮圧政策として、労働組合や農民の抑圧していました。
1968年10月2日、自由と民主化を目指す学生らは政権に不信を募らせ、大規模な学生運動に。
政府は学生らを制圧する為に虐殺をしくみました。
死者は300人以上。
残りの学生は逮捕することで黙らせ、何事もなかったようにオリンピックは開催されたのです。
その為、毎年10月2日になると、「トラテロルコの事件」を忘れるなと、メキシコでは大規模なデモが行われます。
ブラジルは、大丈夫なのでしょうか?
1968年10月2日「トラテロルコの事件」当時の様子
三つ目の悲劇は、1985年のメキシコ大地震です。
朝方の大地震で、目覚めたメキシコは大惨事。
欠陥住宅だけが倒壊したといわれてます。
ぼろぼろに崩れた建物と無傷の建物。
そんな極端な光景が、地震後のメキシコシティでみられました。
地震前は、この辺りを通ると必ず見えた集合住宅の集まり。
周りの雰囲気は変わってしまいました。
現在は、集合住宅が半分の高さになっています。
ここには、多くの霊がさまよっているとも言われますが、メキシコのカラッとした日差しが明るいので気になりません。
昼間は、穏やかな空気がながれ、惨劇の数々が刻まれてきたことなど、信じられないです。
重なり続けた悲劇の場所。
歴史を感じながら、「三文化広場」をあるいてみませんか?ヽ(•̀ω•́ )
バーチャルツアーは、こちらっ!
ぐらしあす!(。◕ ∀ ◕。)